私は少年時代 不登校生徒だった・・・少し長くなるが
・・・思いを書いてみた。
よくあることだが
振り返ってみると
勉強が嫌だった訳ではない
学習力が 着いていけないところも
多々あったが
人間何かしらの 向上心
やりたいこと やってみたいこと が
あるものである
私の思春期は TVゲーム
ゲームセンターに 朝から夜まで
めちゃくちゃな 日々だったと思うが
そこには
夢中になれる何かがあり
人に迷惑かけずに
打ち込んでいた 夢のような
最強のゲーマーに
誰よりも強い 格闘ゲーマーを望み
結果 時がすぎ ゲームからは身を引いたが
長い目でみると無駄でもなかった
TVゲームに明け暮れた先に
ゲームをパソコンで作ってみたい
そう言う思いが 育っていた
コンピュータープログラミングの本を
買い漁ったり
お金をため パソコンを手にして
頑張ったが 才能なく
長い歳月の果てに 完全に
コンピュータゲームの世界を 卒業した
その後
パソコン主権の世の中に
コンピューターに慣れていた私は
父が 仕事で パソコン操作が必要で
かなりサポートすることができた。
巡り巡って イラストを 描いている
これも 模写しかできなかった少年時代の
憧れの
オリジナル作品を 40歳前後で
ようやく描ける様になっていた。
不登校というのは
初めて親や大人に対する 自己主張
つまりは
それも 自分のやりたいこと
致し方ないとはいえ
自分で選んだ道だ 伸ばしてやるべきだろう
大体 不登校になる少年少女は
漫画やゲームが好きだったりする
世の中 仕事に 役に立たない無駄な事と
言って 否定するのではなく
それは
彼らの 生きる望み 生きる原動力なのである
それでね
無理があるかも知れぬが
表題の通り
不登校とアートの関係性が
うっすらと 見えてはこないだろうか?
少しでも わかる
腑に落ちる 気掛かりがあるのならば
人生 生きる力が 何よりも必要。
それを取り上げてしまう
親御や大人が
立派な大人を 語れるだろうか?
貧乏でも好きなことを
そんな
我が子 生徒を 誇らしく 思えたなら
それこそが
不登校とアートの関係性 なのかも知れない。
デワ 筆を置こう。